大本山總持寺御遷祖式行列紫雲臺猊下御上殿の図
(展示された絵葉書から)

大本山總持寺(放光堂)上棟式 其之六
(同上)

 本学の教育の礎となる曹洞宗大本山總持寺は、もともと能登半島門前町(石川県輪島市)にありました。
 元亨元(1321)年、太祖瑩山禅師が諸嶽山總持寺(現在の總持寺祖院)と改められたのが始まりです。その總持寺は明治31(1898)年4月13日に大法堂から出火して伽藍のほとんどを灰燼に帰してしまいました。再建を機に、参詣に訪れ易く、解脱悟道に相応しい風光明媚な鶴見に移転しました。鶴見は、東京と横浜の中間に位置し交通の便がよい土地です。御移転の遷祖式は、今から100年前の明治44(1911)年11月5日に行われました。
 この總持寺御移転百年を記念してさまざまな行事が行われましたが、本学でもその一環として昨年11月14日から27日の2週間にわたって、鶴見大学仏教文化研究所主催、鶴見大学生涯学習センター協賛「百年前の總持寺のにぎわい 記念パネル展」が行われました。一昨年のプレパネル展も本学大学会館センタープラザで行われました。
 この記念パネル展では、百年前の總持寺の建設の様子や10月30日に門前町總持寺祖院を出発した一行が大雄山最乗寺を経て、11月5日に鶴見に到着した模様。また、放光堂で挙行された盛大な御移転遷祖式や上棟式、6日の西有穆山禅師の荼毘式(葬儀)の模様など、当時の貴重な写真、絵葉書、新聞記事、図版などが展示、紹介されました。

パネル展会場で講演を行う関根透特任教授


 また、今回のパネル展では鶴見への移転を決定した大本山總持寺の独住第三世で曹洞宗第七代管長西有穆山禅師の後任で、總持寺の移転を推進した大本山總持寺独住第四世で曹洞宗第八代管長石川素童禅師の人間像に触れるさまざまな写真や資料、新しく集められた絵葉書やこれまでに開催された「總持寺展」の展示図録などもあわせて展示しました。
 展示期間中の11月15日と26日には講演「ご移転の真実を語る資料─遷祖式を中心として─」(講師:関根)も行われました。總持寺建設にまつわる逸話やそれに尽力した人々の姿、一行の入山の模様、遷祖式、上棟式のにぎわい、二千人以上の参列があった西有禅師の荼毘式の流れや一連の新聞報道なども細かく解説しました。
およそ100点を数えるパネルや資料からは御移転当時の總持寺のにぎわいや總持寺建設の背景が感じとれました。その表情には總持寺の鶴見御移転に対する大きな期待があるように感じました。
 なお、現在、能登の總持寺とのご縁から、石川県門前町と鶴見区とが、より親しい関係を発展させています。

御移転100年を記念した作品
(歯学部附属病院1階ロビー 宮本安瞳 作)

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