2010年秋のリーグ戦で本学硬式野球部は2004年秋の1部昇格から
最高の3位、初めてのAクラス入りを果たした。
この成績について創部以来32年間にわたって野球部を見守る
部長である新井髙歯学部教授と、竹内康治監督、
南橋大輝前主将、4月から新主将となる郡司勝成選手に聞いた。

思い出の神奈川大学戦。新井部長と卒業する4年生には花束が

限られた環境の中で

 本学の硬式野球部は、現在、神奈川大学野球連盟に加盟し、1部リーグで活躍している。神奈川大学リーグは1部6大学、2部7大学で構成されており、本学は2004年春の入れ替え戦を制して以来、2009年秋シーズンの2部降格を除き、1部に定着している。
 しかし、常に5〜6位が指定席といわれ、なかなか結果を残すことはできなかった。そこには野球専用グラウンドこそ完成したものの、歯学部や軟式野球部、附属高校との共用で、自由に使える時間が限られていることや合宿所がない環境なども理由の一つだった。


新井 髙部長

 「1部のAクラスの大学では全国からスポーツ推薦などにより学生を集めていますが、本学ではほとんどが県内出身で甲子園未経験の学生が中心です。そんな学生が曹洞宗の教えの下に、その環境から生まれるギャップを一生懸命に乗り越えようとしています」と新井先生はチームを評価する。
 1部に昇格したシーズンは1勝もできずに10連敗。うち9試合がコールド負けだった。それが1勝1勝と勝ち数を増やすようになっていくが、勝ち点制の1部リーグでは同一大学から2勝しなければ勝ち点にはならない。勝つことはできても勝ち点にはつながらなかった。結局、この秋のリーグ戦まで2004年の4位を上回ることはなかった。

高まった部員の意識

 転機は3年前に訪れた。専用グラウンドの完成と前後して、それまでコーチだった竹内康治さんが監督に、香田誉士史さんがコーチに就任。


竹内康治監督

 「他大との環境の違いがあるので、同じことをやっても勝てません。本学OBである川崎前監督やこれまでの野球部員が築いて来た伝統の上に、外から来た私たちの視点から何がプラスαできるかを考えました」と竹内監督。そして、監督、コーチだけではなく、選手も勝つためにはどうすればいいかを考えることから現在のチームづくりが始まった。「たくさん話し合いながら、指導者と選手が歩み寄りました。そして、だんだん選手たちの意識が変わって来ました」。
 これまでも勝ちたいという意識はあった。しかし、勝つために必要な我慢や、犠牲を払うまで勝とうとする意識はなかった。今、それができるようになったことがチームを大きく変えたと竹内監督は語る。「練習だけでなく厳しく、あいさつや服装など、私生活でも1部に属するチームの野球部員として最低限のルールを決めました。今までは許されたこと、見過ごされたことにも、注意が必要になり、部員も窮屈だと感じているかもしれませんが、それが野球に対する意識を高め、勝つことへのこだわりにつながりました」。

結果から自信へ

その成果を物語る試合が昨年春のリーグ戦の横浜商大戦だ。春のリーグ戦は順位こそ5位だったが、各大学から勝利を上げるなど、その勢いは明らかに違った。中でもこれまで一度も勝ち点を奪えなかった横浜商大から初めて勝ち点をあげたことが大きかった。


南橋大輝前主将

 「順位は低くても、商大から勝ち点をあげたことで、勝てることを実感できました。もう1勝につなげようとミーティングで話し合い、秋のリーグ戦の好成績につながりました」。当時の主将、南橋大輝さん(ドキュ4)は振り返る。そして、関東大会の出場権を得るために2位を目標とした秋のリーグ戦でも横浜商大から勝ち点を奪い、また、最終節では唯一過去に勝ち点のない神奈川大から勝ち点を上げることができた。
 「商大戦も神大戦も、初戦敗戦で残り二連勝とこれまでにない粘りが出せ、一緒に戦っている私でさえ感動を覚えました」とその時の様子を熱く語る竹内監督。
 「軸になる投手が成長して、それを支えるナンバー2の投手がリーグ戦ごとに現れ、それが上手く攻撃陣とかみ合っていました」と新井先生は目を細める。残念ながら、同じ勝ち点でありながら勝率の差で3位に甘んじたが、2位とほとんど差のない戦い方だった。そこまでできるようになった層の厚さは、試合に出る選手の技術よりも、チームワークとベンチや練習を支える部員一人ひとりの意識が確実に高まっていることから生まれている。


郡司勝成新主将

 4年生の卒業によって生まれ変わる新チーム。「最低でも3位を超えないと先輩を超えることができないので、1位2位を目指します。これが目標で、さらに部員がついて来てくれるような部にしていきたいです」また「昨シーズンは、いつまでも4年生と一緒に野球がしたいという思いがモチベーションの高さにつながった」と新主将の郡司勝成さん(ドキュ3)。
 「自分たちがしっかりやれば、自ずと後輩たちがついて来て、力がまとまり勝利につながります。成績にとらわれずに、やるべきことをやるようにルーツからもう一度見直してやればいい」と南橋さんはアドバイスをおくる。

最高の思い出に

 神奈川大から勝ち点をあげた最終節の1勝にはもう一つの大きな意味がある。チームを支えて来た4年生の最後の試合であるとともに、創部以来32年間にわたって硬式野球部を見守ってこられた部長である新井先生の最後の試合でもあった。
 歯学部が創設されたその4年後、昭和48年から男女共学となった本学。昭和51年に本学に着任された新井先生は、翌年から部長としてずっと野球部を見守ってこられた。創部からほどなくして全日本歯科学生総合体育大会(歯学体)で優勝するなど、歯科大学間での大会では黄金時代を築いていった。
 昭和57年、神奈川歯科大、東京工芸大、横浜商科大とともに神奈川大学リーグ2部に参入。人数も少なく講義や実習で練習時間も制限される歯学部では、なかなか歯が立たず、神奈川歯科大がリーグを離脱していく中、本学は文学部の共学化により、野球を行う学生も増え、歯学部と文学部合同のチームを経て、現在の神奈川大学野球連盟に所属する文学部を主体とする野球部と歯学部学生で構成する2つの野球部になった。 文学部を主体とする野球部となってからは2部で3回優勝し、3回目の入れ替え戦を制して2004年の秋に1部に昇格。新井先生は現在まで一貫して野球部を指導されている。その中には、入れ替え戦で延長15回を制した試合やリーグ戦で延長18回再試合になった試合など、さまざまな試合もあった。
 しかし、新井先生は「最も思い出に残る試合はこの最後に勝ち点を上げた神奈川大との最終戦」と答える。「エースもよく踏ん張ってくれたし、監督の采配もあたっていたし、ケガをしていながら主将も重責を果たしてくれました。ほんとうにいい試合でした。これまでにいろいろな試合を見て来ましたが、この試合は私の人生に燦然と輝いています」。
 この1勝はグラウンドにいる選手たちだけで勝ち取ったものではない。1勝にはここまで長年にわたって見守っていただいた新井先生に対する、鶴見大学硬式野球部歴代全部員からの感謝の思いが込められている。

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