鶴見大学創立50周年・短期大学部創立60周年を迎えました。
半世紀以上にわたって学術研究・教育の場として、また友情を深め合う場として、
それぞれに忘れられない思い出が生まれたことでしょう。
鶴見ヶ丘での懐かしい“あの頃”の思い出を語っていただきました。

鶴見大学での思い出

文学部日本文学科卒業生
水落純子さん

 私が日本文学科に入学した当時、歯学部は共学でしたが、文学部と短期大学部はまだ女子学生だけでした。現在、体育館で行われている入学式、卒業式は、總持寺の大祖堂で行われていました。
 大学時代先ず思い出されるのが、本山一泊参禅会です。それまで考えもしなかった修行の場を垣間見るという貴重な体験ができました。そして、宗教学の授業では、般若心経を唱え坐禅を組んだ後、静かな緊張感の中で、三輪全龍学長(当時)の講義を受けました。次第に心が穏やかになったのを覚えています。大学に通うことで知らず知らずの内に禅の教えを吸収し心の糧となっていたのだと思います。
 また、日本文学科では、3年生の秋に大和研修旅行がありました。希望者のみの参加で、参加しない人はレポート提出があったと思います。そのためか半数以上の学生が参加していました。奈良大和路に三泊四日で神社仏閣を巡りました。各所で伺う先生のお話は、普段の授業とは違った面白さがあり、先生方との距離が近くなったように思います。さらに距離が縮まったのが最後の晩の大宴会でした。芸達者な学生が出し物をしたり、先生方も歌を歌ったりと大いに盛り上がりました。本当に楽しい思い出です。
 鶴見大学での思い出は尽きませんが、人間形成においても大切な時期である学生時代を鶴見大学で過ごし、良き先生方、良き友人達に出会えた事は何ものにも代えがたいものです。本当に有意義な時を過ごさせて頂きました。

学生時代を振り返って

文学部英米文学科(現・英語英米文学科)卒業生
内田 愛さん(文学部非常勤講師)

 私が入ったころ文学部はまだ女子だけで、高校まで共学だった私には女の子だけでいっぱいの教室が最初は不思議な感じがしました。授業で先生がとても丁寧な口調で話されることにも驚きました。一人前の大人として扱われたようで、気の引き締まる思いがしたのを今でも覚えています。卒業後は大学院に進み、博士後期課程まで残りました。大学院は人数も少ないので先生方とも近しくなれるせいか、教えて頂ける内容も学部時代以上に面白く、予習やレポートは大変でしたが、とても有意義な時間を過ごせました。そこで学んだことは現在の私にも大いに役立っていると思います。
 学生時代で特に記憶に残っているのは、やはり友人たちと過ごした日々です。学部にいた頃はまだ本館(現1号館)と図書館の間にB棟と呼ばれる研究室棟があって、その下の小さな広場やラウンジでお喋りに花を咲かせることもありました。私が入っていた茶道部は伝統的に總持寺の行事の際にお手伝いをする機会があるのですが、それも鶴見大学にいたからこそ経験出来たことです。部活や大学院時代の友人の幾人かとは今でも親しくしています。こうした生涯の友だちや今も変わらずご指導を下さる先生方に出会えたことはとても嬉しいことです。
 今でも鶴見大学はゆったりとして、昨今の熾烈なビジネスペースから遅れているように感じなくもありません。ですが、図書館をはじめ整った環境の中で勉学はもちろん、慌てず自分自身について思いを巡らせる時間を持てた学生時代を私は幸せな気持ちで思い返しますし、今後も母校を懐かしく思う卒業生がたくさん生まれることを願っています。

嗚呼、我が青春の文化財学科

文学部文化財学科卒業生
宮﨑正二さん(鶴見大学歯学部教学課)

 鶴見大学創立50周年、同短期大学部創立60周年おめでとうございます。
私は文化財学科の2期卒業生ですが、早いもので平成10年に設立した文化財学科も今年で15年目になるのですね。
 文化財学科といえば個性的な講義科目と様々な実習科目があり、近隣の文化財巡検、古文書の補修や修復、実習場での遺跡の発掘、様々な機器を使った分析や保存科学の実習など今でも鮮明に覚えています。特に大学4年生の時に実習Ⅳの国外コースで中国の河南省方面に行った時のこと、文化財学科の巡検ですから普通の旅行では味わえないような中国の農村部の釜跡を中心に廻るという大変ディープなものでした。釜跡といってもやはり「跡」なので現在はとうもろこし畑だったり、舗装された道路がなくぬかるみに嵌ったバスを皆で押したり、悪天候で周りに何もない地方空港に緊急着陸したり…そんなハプニング続きで連日ホテルに到着するのは深夜0時をまわってしまうような過酷なものでした。当時は大変な思いをしましたが、こんな旅は一生に一度味わえるかどうかの貴重な経験ですし、本当によい思い出です。
 また、私自身は考古学を専攻していたこともあり、鎌倉での発掘調査に参加させていただき、泥や土、汗にまみれて働くこと、そして得られるお給料の大切さ、また様々な年代の人たちと交流することで自然とコミュニケーション能力が培われたと感じています。これは現在の仕事にも十分に生かされています。
 今も変わらず春季と秋季の年2回の文化財学会が行われておりますので、卒業生の方々も友だちに会いに来るぐらいの気持ちで足を運んでいただければと思います。
鶴見大学の益々の発展と在学生ならびに卒業生の活躍を期待しています。

大学生活で“学んだこと”と“得たもの”

文学部ドキュメンテーション学科4年
火爪健太さん

 今回は、大学生活で「学んだこと」と「得たもの」の2つを紹介したいと思います。
 まず、学んだことですが、それは「コンピュータ関連のスキル」です。私は、小さい頃から好きだったコンピュータにもっと詳しくなりたいという想いがあり、ドキュメンテーション学科に入学しました。授業も特に情報学分野を多く取り、プログラミング言語やデータベースの作成法、ネットワークが通信を行う仕組みなど、数えきれないほど多くのことを学びました。この点では、無知同然だった入学当初から今まで、私にでも理解できるよう教えて頂いた先生方のおかげで、無事4年生の現在まで来られたように思います。
 次に得たものですが、それは「大切な友人たち」です。私は富山県出身で、大学入学と同時にこの神奈川県で一人暮らしを始めたということもあり、入学当初は慣れない環境に適応できるかという不安でいっぱいでした。しかし、神奈川県出身という人が多い中、富山県出身の私にも気さくに接してくれた現在の友人たちのおかげで、スムーズに大学生活に馴染むことができました。その後の大学生活でも、一緒に遊ぶこともありましたし、授業や課題作成の際にも幾度となく助けられました。ここまでの4年間を支えてくれた友人たちや先生方には本当に感謝の気持ちでいっぱいです。
 就職活動の際には、慣れ親しんだ環境を離れることが嫌で、就職先を富山県にするか神奈川県にするか最後まで悩みました。しかし、最終的には長男であることなどを考え、富山県での就職を決めました。大学生活では周りから得るものばかりでした。これから社会人になるにあたっては、自分が周りに笑顔でも幸せでも、何かを与えられる人間になれればと思います。

あれから45年がたち

保育科卒業生
高橋純子さん

 学生生活の思い出は、寮での生活と大学での授業です。私は父親との約束を守り2年間洗心寮で過ごしました。
 寮生活の始まりは、朝食で、寮生が食堂に集まり、食前に「応供の偈」を読み、食後には、「普囘向」を読み、食事が終わります。その後、保育科寮生は、足早に支度をして大学のピアノ室に急ぐことが常でした。特にピアノの試験が近づくと寮のピアノも朝5時頃から紙に順番を書き競いました。夜は門限があり、バス停からの坂道を駆け上り点呼に間に合うようにしたものです。
 一年生の時は光華寮生と一緒にレクリエーション大会があり、寮間の中庭でゲームをしました。籠を背負って走っているのが私です。寮では時間の制約がありましたが、保育科以外の人との繋がりもでき、今でも時々会います。いろいろな地方の方と交流ができた事は、寮の良い点だったと思います。
 大学では賀来琢磨教授の授業が楽しみでした。授業で使う鈴袋をつくる布がなくて、自宅通いの友人から布を貰い、作ったことを思い出します。クラブは「創作ダンス部」で、紫雲祭が近づくと教授の自宅教室まで伺い、ご指導いただいたことが懐かしいです。その思い出の「鶴の恩返し」の写真です。学んだ創作ダンスの方法は、就職して、運動会・発表会に活かし、保育の得意なひとつになりました。
 また、就職した時、先輩から鶴見女子短大の卒業生は、即、戦力になると言われ、卒業生であることを誇りに思いました。
 60周年を迎え、保育科の卒業生が、保育の未来に羽ばたき、更なる社会貢献ができることを願っています。

子どもの世界に働く喜びを求める保育者の養成をめざして

保育科 元・短期大学部長
海野阿育先生

 本学保育科に、1976年4月〜2004年3月まで在職した間に、学科の制度として大きく変化したことが4つ想い出されます。それは、①「鶴見大学女子短期大学部保育学会」発足(1976年)と学会誌『保育鶴見』の創刊(1977年3月)、②認定専攻科保育専攻開設(1995年)、③男女共学施行(1999年)、④認定専攻科福祉専攻の開設(2003年)です。
 ①は、2年生全員が各教員の専門分野を選んでゼミ形式で自由研究し、各レポートから1つを選び、ゼミ全体の講評を添えて『保育鶴見』に掲載し公刊します。学生は、乳幼児の保育、教育、福祉の世界をフィールドワークし考えます。教員はそれらの疑問をより豊かに深められるように共に考えます。学生と教員のガチンコ対決の苦闘のゼミです。
 ②は、幼稚園2種免許の先に「学士」の学位と1種免許の取得を照準に、学修の深化を学生に求めるコースです。教員は、5年に一度(現在は7年に一度)の学位授与機構の審査を受けなければなりませんから、学生の学修の向上と共に教員自身の研鑽が求められます。
 ③は、總持寺開祖瑩山禅師が母の願いを女性済度の誓願にされたことを女子教育に体現した本学を、子どもの世界を男女の共同で支える理念として学修する場に拓いたのです。
 ④は、保育の学修をベースにした福祉の学修を、赤ちゃんから老人まで、より人間としての豊かさを志向する介護福祉士の学修に拓いたコースです。
 こうした制度へのチャレンジは、本学保育科の保育者養成の伝統のうえに、資格課程に学ぶ学生の本気を促すことと、教員自らの実践者養成へのたゆまぬ本気を拓く大学そのものの存在価値の再生と創造でした。今後も、学生と教員が四つに組んで、豊かな乳幼児の世界を支える実践者の養成を堅実にかつ創造的に実現していく保育科を確信しています。

学生(保健科)時代の思い出

保健科(現・歯科衛生科)卒業生
松田裕子先生(歯科衛生科教授)

 保健科時代は歯科衛生士と、選択で養護教諭と中学校保健教諭普通2級(現2種)免許状の3つの資格が2年間で取得できるカリキュラムで、今では考えられないような過密さでした。また科の名称は保健科でしたが、「保健歯科」とも呼ばれていました。
 教室では、主要科目のほとんどは各先生お手製のテキストで、学生はそれぞれの目標に向かってみんな真剣でした。先生方も一生懸命で、看護学の産婦人科の講義で学生の質問に先生が教卓の上で胎児の回転の様子を実演され、その姿は一見滑稽でしたがその熱心さに笑うものはいませんでした。また、自分と一体のように大事に人の頭蓋骨を風呂敷に包んで電車に乗って来られ、教卓の上にセットしてから講義される先生、映画の名場面を題材に授業をされる先生など、自由で面白い授業がたくさんありました。学科長の山崎清先生は人類学者として著名な先生で、60歳を過ぎていましたが背が高く白髪の似合う素敵な先生でした。講義で、フランス人の奥様のお話をするときの描写は素晴らしく、映画の1シーンのように印象に残っています。また、2年時の朝7時半からの早朝講義(歯科臨床概論)も印象的で、質問が厳しく緊張の連続で、授業開始 10分前には全員が着席し、あたらないように目立たない色の上着を着て授業を受けていました。
 時間割では、1年時の座学の過密さ、2年時になると学外実習が厳しく、2つの教員免許を取得する人は4〜6月にかけて学内授業を公欠して、小・中学校での4週間の教育実習, 総合病院での2週間の実習があり, 6週間分の授業の空白は友人のノートが頼りでした。そのうえ養護教諭になるには, 教員採用試験が7月下旬にあり、7月からの歯科臨床実習(歯科診療所)と重なり大変でした。また後期は、日本歯科大学附属病院(本学に歯学部はなかった)での実習があり、定期券を買って通いました。このように多忙で大変でしたが、楽しさもあり充実した学生生活でした。今は懐かしい思い出です。

2年制から3年制へ

歯科衛生科卒業生
吉田好江先生(歯科衛生科講師)

 平成11年4月、鶴見大学短期大学部歯科衛生科に入学しました。当時の実習衣は前年までの白いワンピースタイプから、クリーム色のパンタロンスタイルに変わったばかりで、1年生は新入生であることが一目でわかる年でした。ナースキャップのつけ方が板につくまでしばらく月日がかかったものです。
 当時の歯科衛生科は2年制で、臨地・臨床実習が始まる時期は2年生後期からでした。卒業までの半年間で臨地・臨床実習を行っていたということです。実習はどれも印象的でしたが、なかでも4号館の臨床実習室で行った協力患者さんに来校していただいてのスケーリング実習が、最も強く印象に残っています。問診、口腔検査、歯磨き指導、スケーリング、歯面研磨等の流れを限られた時間内で終わらせる実習は自分にとっては非常に厳しいものでした。ですが、そのお陰で今があることに感謝しています。
 卒業後、実習助手として本学に就職し、平成15年に歯科衛生科の教育は3年制へと変わりました。学生の実習衣もクリーム色から水色へと変わり、ナースキャップは衛生面からも廃止になりました。科目の学習時期や内容の整合性を図るためカリキュラム構築の勉強会を行い、歯科衛生業務の中心となる実習科目のすべてについてカリキュラムを模索したことが懐かしく思い出されます。現在、「歯科衛生学」として歯科医療の基礎知識や専門技術の習得、そして科学的な思考をもって歯科衛生業務を行えるような教育を目指して、教育の体系化がすすめられています。歯科衛生科3年制への移行から10年がたち、今一度カリキュラムの見直しの時期がきていると感じています。
 そんな中、本学卒業生の活躍を見聞きしては、その一助になれたのであろうかと自身を振り返り、また頑張ろうと励まされています。今後も学生の学習を支援できるよう尽力していきたいです。

| 鶴見大学のホームページ | キャンパスナウTOP | ▲このページの最初に戻る |

ページトップへ