平成30年度春季講演会
「史跡小田原城跡の整備と活用」

文責 2年菊池優希


平成30年度春季講演会は6月2日(土)鶴見大学会館大ホールに於いて、「史跡小田原城跡の整備と活用」と題し、講師に小田原城天守閣館長 諏訪間 順氏をお迎えし開催された。

今回の講演会は、1.小田原北条氏と小田原の繋がり、2.小田原城の発掘結果、3.発掘された小田原城の史跡活用、の3つの項目に分けて述べられ、最新の小田原城跡の発掘調査結果を含めてご紹介いただいた。

はじめに1つ目の小田原北条氏と小田原の繋がりについて、小田原北条氏は北条早雲から始まる北条氏五代は虎の判印に刻まれた祿壽應隱に見られる領国経営の理念で小田原統治を行っていた。祿壽應隱とは、小田原に暮らす農民の財産・生活が穏やかであるようにという他の武将には見られない北条一族の独自の政治理念が込められていた。この北条一族の祿壽應隱に見られる統治は、民に優しい政治体制であった。また、北条一族は北条家当主を北条の血縁者が支えるといった家族間のつながりが強い一族であり、跡目争いが起こらなかったことからも他の武将と比較するとかなり異色な戦国武将であったことがわかる。

小田原合戦は、1590年に起きた中世から近世へ時代の転換の重要な出来事である。北条氏の総構えに代表される大規模な堀と土塁の中世城郭の小田原城と、豊臣氏の石垣で築き上げられた近世城郭の石垣山城で持久戦が行われ、最終的には北条氏の滅亡で終わっている。

北条氏統治の小田原城は、関東の政治・経済・文化の中心で、北条氏の本城として栄えた。特徴としては、周囲9kmにわたる堀と土塁で城下を囲んでいる『総構え』で、戦国最大の規模であった。江戸時代に入ると江戸幕府の西を守る重要拠点として、天守・櫓・城門・石垣・水堀による近世城郭へと改変された。このことから、小田原城は中世から近世まで400年間継続した城郭であり、城下町・宿場町などがある都市遺構であると言える。

次に小田原城の発掘結果として、1982年から史跡整備の伴う継続的調査についての紹介があった。1985年には個人住宅の建て替えに伴う小規模調査、他に三の丸内外の大規模調査、御用米曲輪の調査、近世三の丸の調査などについてそれぞれ紹介があった。

これら併せて600ヵ所にも及ぶ発掘調査によって、近世とは異なる小田原城・城下町の様子が明らかになりつつある。現在明らかになっている中世小田原城は、関東ローム層に戦国最大の周囲9kmの堀と土塁が50~60度の傾斜で掘られている事である。また、堀底は土をマス目状に掘り残して障壁を設ける障子掘りが作られている。この障子掘りは、丘陵部でも空堀ではなく、湧水や雨水が滞水している事から空堀ではないことが明らかになっている。障子堀にする長所として、堀の中で横移動が出来なくなり、また壁には強い傾斜を設けているため、上ることが困難な造りとなり足止めがしやすい点がある。他にも、小田原城はその広大な構内に田畑もあるため篭城には適した造りであった。このように、小田原城は防御力の高い城であったため、小田原合戦に参加した多くの戦国武将が自国の守りに小田原城の障子掘りなどの小田原城発祥の建築技術を採用している。

特に大きな発見としては、御用米曲輪の調査が挙げられる。御用米曲輪の調査は1982年の試掘調査、2011年の史跡整備に伴う調査の2回行われている。近世の米蔵が残されている絵図の通りに検出されたが、他にも戦国期の建物跡と庭園が検出され、全国で類例のない墓石を使った池、切石を敷き詰めた遺構が検出されている。検出された戦国期の建物と庭園は、北条氏の当主クラスが居住していた可能性が高い事を示唆している。また、この庭園は全国に類例が無く、北条氏の斬新性などが伺える。

三の丸の調査では、江戸時代の絵画図面に描かれていない堀が検出され、120mの直接的な道路や水路などの区画を示す遺構から、正方位を基軸とした展開が行われていたことが明らかになった。

また史跡の復元整備に関しても紹介があり、史跡の復元には①発掘による発見、②絵図・指図などの寸法がわかる図、③本当にそうだったかわかる古写真の3つが必要となる。小田原城馬出門の復元は、発掘による発見、絵図、古写真、の3つ全てが揃っていたため復元する事ができた。

 最後に3つめの史跡活用については、主に小田原城自体について紹介があった。小田原城は昭和35年に鉄筋コンクリートの復元天守として建てられ、平成27年に耐震工事が行われている。この時に空調設備や展示のリニューアルも行っている。リニューアル後は博物館形式で最新の研究を知ってもらう事を目的に展示・運用が行われている。コンセプトとしては①歴史観光の拠点としての小田原を中心に歴史的魅力を発信する事、②観光客にわかりやすい展示をする、③多言語対応、④展示物の大幅減少の対応、⑤グラフィックの充実による展示、となっている。また、天守模型や引き図、文献調査から天守最上階に安置されていた天守7尊の具体的な間取りなどが明らかになり、摩利支天空間が天守閣に再現されている。

 最後に今後の展望について述べられ、現在歴史的資源を生かした観光復興を行っており、今後も小田原市観光戦略ビジョン・歴史観光まちづくりの推進などを行っていくと述べられた。