平成28年度秋季シンポジウム
「海外考古学の現場」


報告 2年 松田 悠

    

平成 28年度秋季シンポジウムは 11  5日(土)、鶴見大学会館地下メインホールに於いて「海外考古学の現場」と題し、4人の講演者を迎えて開催された。 

 まず初めに本学文化財学科名誉教授・河野眞知郎先生に「中東と南洋;昔の調査から-層序・遺構と調査団生活-」と題してご講演いただいた。  

「調査の狙い」「層序・遺構・遺物」「調査法と測図」「調査団での生活」の4項目をあげ、中東と南洋での発掘調査や調査団生活について述べられた。

河野先生はシリアにて2回の調査に参加し、そのうちの1回はルメイラ地域のアサド湖テル遺丘遺跡を調査する最初の年であった。この地域の近くには生活に不可欠な川があったため、人々の生活基盤が繰り返し作られた。テル遺丘は居住区が災害などで埋まり、その上に新たな生活層が形成されて深くなった遺跡である。そのため、発掘では遺跡を 一度に掘り下げるのではなく層を階段状に掘り下げ、どのような文化層の重なりになっているか調査が行われた。広範囲の遺構の平面図の作成や土層推種の順序、ひいては各層の年代がわかる土層断面図作成が重要であると述べられた。南洋のラッテ遺跡も同様で、ラッテ遺跡にはお椀型の石の乗った石柱が列柱していることや床下から横向きで埋葬された人骨が発見されていることから地形と石柱の配置関係や埋葬人骨との同時関係の把握が必要であると指摘された。

 調査団での生活では、複数の大学から来た調査員がそれぞれの意見を言い合い、衝突することが少なくなかったと述べた。最後に調査を行う上で大切なこととして発掘場所に関して事前の下調べやそれに基づいた計画が重要であると述べられた。 

 次に本学文化財学科准教授・田中和彦先生にフィリピン、ルソン島北部、ラロ貝塚群の発掘調査と土器編年」と題してご講演いただいた。 

公演ではフィリピン・ルソン島北部での調査から発掘調査や出土土器、発掘現場でのエピソードについて述べられた。カガヤン川の下流に見つかったマガピット貝塚では赤色スリップ土器や磨り石、磨製方角石斧など、バガック貝塚では模様の入った黒色土器や褐色土器、ガラスビーズなど、カトゥガン貝塚では淵が外側へと広がった鉢などが出土した。層位的発掘調査と層との比較により、マガピット貝塚第層出土土器とカトゥガン貝塚第層出土土器は同じものであること、それからバガッグ貝塚第貝塚第層出土土器とカトゥガン貝塚第層出土土器が、バガッグ貝塚第層出土土器がわかり後期新石器時代から金属時代の土器編年を構築した。発掘現場のエピソードでは、1980年代後半に行ったマガピット貝塚の調査時、迷彩服を着た元フィリピン国軍の将校が現地の調査員を銃で脅しそれを止めに入った日本人の先輩の話を紹介した。田中先生はこのことから現地調査での難しさを知ったと語られた。最後には現地人との交流を含めた調査の重要性を語り、今後の課題としてスペイン植民地時代の土器の編年と構築の必要があると述べられた。 

    

 続いて本学大学院博士前期課程の米山由夏氏に「古代エジプトの木棺について」と題してご講演いただいた。  

 古代エジプトは現在のエジプト・アラブ共和国に位置し、ナイル川を中心として繁栄していた。古代エジプトの王朝期は5つの時代と3つの中間期に区分されており、中間期は国内情勢の不安定な時期だったとされている。特に第2中間期の混乱は棺制作にも影響している。 埋葬行為は先王朝時代から行われており、先王朝時代初期の埋葬法は死者を動物の皮や植物で編まれたマットでくるむ方法だったが、先王朝時代の終わりになると籠型に変化した。また、同時期に箱型の棺も出現したが、屈葬だったため、箱は小型のものであった。古王朝時代になると伸展葬が主流となり、棺も長く大型のものに変化した。中王国時代には箱型棺の装飾が発展し、後期になると人型の棺が出現した。この時代はミイラマスクが発展した時期でもあり、人型の木棺はその延長で出現したとされているが、人型棺はミイラマスクが多用され発展することはなかった。しかし第2中間期後期になるとテーベで人型棺が盛んに作られるようになり、第3中間期になると棺の装飾はさらに発展し外側のみならず内側にも装飾が施され、末期時代以降になると棺の形状は寸胴に変化していった。

 このように古代エジプトの木棺は長い年月を通して形態を変化させた歴史を持つ。変化の背景には社会情勢も大きくかかわり、宗教観による変化ではないことが感じられるが、まだ人型棺の広がりなど不明な点はあると指摘された。

 今後は発展した科学的分析と考古学的な情報も組み合わせてより深い調査研究を行いたいと述べられた。

 最後に本学大学院博士前期課程の山田明子氏に「バローチスターン地方の先史土器文化」と題してご講演いただいた。  

 講演では、バローチスターン地方の高度な技術と多彩な彩紋を持つ土器文化について発表された。

 バローチスターン地方は1948年までイギリス領であった。その際、植民地支配を円滑にするためにインド考古局が発掘調査を行い、ハラッパーやモエンジョ・ダーロが発見され、更にはそれまで予想もされていなかった場所にインダス文明の遺跡が発見された。その後の調査により、複雑な幾何学文や宗教的な文様などインダス文明以前から各地・各年代に独特の土器文化が存在していたことが明らかになっている。

 現在は情勢不安のため調査が行われておらず、新しい調査研究が進んでいない状況であると指摘された。今後は蓄積された資料を研究し、日本で所蔵されている土器を研究していきたいと述べられた。

 討論では本学文化財学科教授・宗臺秀明先生による司会の元、海外の研究を行う場合考古学や文化財の視点からみてどのような意味があり、どのような覚悟が必要であるのか、各講演者から意見が交わされた。