平成25年度 春季講演会
「産業遺産と世界遺産―富岡製糸場と絹産業遺産群の登録―」
群馬県企画部世界遺産推進課課長 松浦利隆先生


 我が国における世界遺産登録に関する動きは「都合主義」による観点から、条約制定後約20年間は登録に着手しなかったが、その考えを改め(欧州における文化財保護の影響)法隆寺地域の仏教建造物・姫路城・屋久島・白神山地の登録を皮切りに、平成23年時点までに16の世界遺産(文化遺産12/自然遺産4)が存在している。

平成15年に発足した「富岡製糸場を世界遺産にする研究プロジェクト」により4年間の様々な活動を経る中で、平成1811月「富岡製糸場と絹産業遺産群」提案書を文化庁に提出。平成191月に国の暫定一覧表に追加記載されることになった。更に5年後の平成247月には文化庁、8月には政府が推薦を了承、9月に政府がユネスコへ暫定版の推薦書を提出、翌年の平成251月には正式な推薦書を提出、ユネスコ諮問機関ICOMOSによる現地調査は8月から10月にかけて行われる。申請書はA4版紙で約2500枚にまとめられ、これは文化庁のホームページで閲覧が可能である。

現在の世界遺産の傾向としては、志向の遺産が重要視されているが、これだけでは歴史を語れないと松浦先生は述べる。「人類に関わりのあるモノを世界遺産に」その例としてアイアンブリッジ(英国シュロップシャー州にある世界初の鉄橋。正式名「コールブルックデール橋」)を挙げ、製鉄業の成功は産業革命に発展、それは即ち近代化の原点であること、西洋のスタイルは近代化の波として全世界に広まったこと、即ち歴史的背景の物語があることが世界遺産の価値であると述べられた。

富岡製糸場並びに絹産業遺産群の世界遺産登録における最大の強みは、日本の独自性を強く主張出来ることにあり、故に課題でもある。時は富国強兵の時代、資本を持たない民間に代わり政府が新しい産業の一つとして興した工場が富岡製糸場である。世界から器械製糸技術を学び製糸業の近代化が図られる中、原料繭の大量生産化や良質な絹を出す蚕の収穫時期の回数を増やすことに成功。その背景には荒船風穴(天然冷気を用いた蚕種貯蔵施設)高山社跡(「清温育」を開発した場であり、実習生の学び場)田島弥平旧宅(近代養蚕農家の原型)等の民間外部の協力・連携があった。第二次大戦後は、生糸生産の自動化に成功。自動繰糸機は全世界に輸出されたほか、日本の画期的な養蚕技術は世界中に広まることとなる。

富岡製糸場と絹産業遺産群における「技術の進化・交流」は世界の製糸産業発展、絹の大衆への浸透に大きな影響を及ぼした。富岡製糸場は当時とほとんど変わらぬ姿を見せており、建屋内部には和と洋の建築技術の粋を見ることが出来る。また、ここで働く「工女」と「女工」は両者全く別の意味を指しており、詳しくは『あゝ野麦峠』の原作を読んでもらいたいとして講演を結ばれた。