平成24年度 春季講演会

「世界遺産登録は平泉をどう変えたか」
元・平泉世界遺産推進室 八重樫忠郎先生



 平成24年度春季講演会は、62日(土)鶴見大学会館にて「世界遺産登録は平泉をどう変えたか」と題し、元・平泉世界遺産推進室(現・岩手県平泉町総務企画課課長補佐)八重樫忠郎先生にご講演いただいた。

 世界遺産とは国際連合に設置された専門機関「UNESCO」により決議された世界遺産条約によって定められた遺産のことを指す。条約の正式名称は「世界の文化遺産及び自然遺産の保護に関する条約」であり、その目的は「顕著な普遍的価値」を有する世界遺産を人類全体の遺産として、破壊の脅威から保護し、保存することである。よって国際的な協力及び援助の体制を確立することも目的としている。

 世界遺産の登録には、歴史的背景の善し悪しに関係なく人類が忘れてはいけない歴史の舞台(ヌビア遺跡・アウシュビッツ強制収容所)が挙げられるが、世界遺産登録が国政のカードとして用いられる場合もある。現に小笠原諸島は平泉ほどの宣伝はしていなかったが、日本を取り巻く諸島における近隣国との領土問題や経済水域に関係する地域であったため、推薦された。また登録の判断基準が西欧の価値観に偏りがちであり、日本の文化遺産については、寺・神社・城以外はあまり評価されない傾向にある。更に近年では世界遺産が増えすぎてしまったため、登録が難しくなっている。

 平泉は岩手県南部に位置する平安末期に栄えた奥州藤原氏が治めた土地である。京の都に劣らない豪華絢爛な文化が花開いた平泉は、義経を匿った事から頼朝の大軍勢に討ち滅ぼされた。その間僅か100年の栄華だった。平泉の構成遺産は、中尊寺(特別史跡)毛越寺(特別史跡・特別名勝)無量光院跡(特別史跡)観自在王院跡(特別史跡・名勝)の五つである。すべての史跡が宗教に関わりを持ち、どれも浄土の世界を表現しているとされる。

 平泉の世界遺産登録は決して簡単なものではなかった。実際のところ平成20年に一度、日本で初めて登録が延期された。しかしそれが功を奏し、平泉の世界遺産登録に無関心だった大勢の住民が、この件をきっかけに関心を持つようになり、延期の理由を考え始めるようになった。(それまでは行政と、ごく少数の住民のみの活動だった)その結果、平泉全体が一体として景観の改善に取り組んだ。ガードレールをパイプ仕様に変更、企業に頼み込んで道脇にある大形看板の撤去や、看板の色彩変更などを行った。このような行政による「景観条例」の施行が、翌年には住人の手による「中尊寺通りデザインコード」策定を促した。これにより行灯の設置、プランターを木製仕様に変更、住民自らが自宅を和風のものに改修するなど様々な和の雰囲気作りが施された。そして平成23年、平泉の世界遺産登録が実現した。

 八重樫先生は「世界遺産は町づくり」であると述べ、行政と地域住民が協力しながら共に進んでいく重要性を説き、地域住民、特に子供達が世界遺産の町に生まれた事を誇りに思って欲しいと述べられた。