平成23年度 秋季シンポジウム
「鎌倉のやぐらと石造文化財」



・東京文化財研究所保存修復科学センター修復材料研究室長朽津信明先生「中世の彩色文化財としてのやぐら」  

・本学講師星野玲子「やぐらの劣化について」

・真言宗泉涌寺派準別格本山浄光明寺執事・什宝物調査整理係古田土俊一先生「鎌倉における中世石造物の様相―五輪塔を中心として―」

・本学教授河野眞知郎「やぐらは鎌倉に独特のものか―分布・存続年代・供養形態から―」

 
 朽津先生は、基調講演として次のように述べられた。「やぐら」は岩窟(イワクラ)が訛ったもので、鎌倉を中心とする丘陵部に数千基あり、類似物はそれ以外の地域にも確認されている。文化財としてのやぐらは、鎌倉時代の人々が残した不動産遺産と捉えられるが、その内のいくつかは彩色されたものもあり、これらは古代の壁画から続く彩色文化財の一つである。そうした彩色文化財では、画家の使用する顔料と大工の使用する顔料とで違いが見いだせる場合が多いが、やぐらに見られる顔料は、大工の使用する顔料の傾向に近い。ただし、分析点数が少ないため、慎重に検証を重ねる必要があるも。しかし、やぐらは十分に保存されておらず、現状では彩色に関する類例調査は困難なものとなっている。

星野は、岩盤の崩落、堆積物の流入と埋没、亀裂、摩耗・掘削による壁面の消失、表層剥離、析出物の発生、樹木の成長、繁殖、昆虫・小動物の活動、後世の改変が原因となって侵攻しているやぐらの劣化要因を次の3点に要約した。①温湿度の変化や風雨、構造上の歪み、地震や乗物による揺れなどの物理学的変化。②大気汚染による影響、塩類風化などの化学的変化。③大木・植物・苔・シダ・地衣類の成長・繁殖・昆虫・小動物などによる生物学的変化。このようにして進む劣化の保存対策として、樹木の伐採、やぐら内の清掃などによる周辺環境の整備、岩盤崩落防止の金網、コンクリート補強、・支持柱・岩盤の強化処理を行う岩盤自体の強化、そして学術調査や急傾斜地保存対策に伴う緊急調査による記録化が必要であると述べた。加えて、これら文化財の保護・保存に関心を抱くものは、実際にその場に赴いて、そこを歩き、実物を見て何かを感じ取ることが重要だと強調した。

古田土先生は、鎌倉における石造塔の変遷と石工との関係を述べられた。14世紀初頭以降、鎌倉で造立される石造物の中で五輪塔が突出した数に上り、鎌倉における最古の五輪塔は忍性の墓塔である。五輪塔は大日如来の三昧耶形で、漢訳仏典を基に日本で立体化・石造化されたものだが、使用された石材には伊豆箱根系安山岩と三浦層群凝灰岩がある。鎌倉及び周辺地域で産出する石質の柔らかい凝灰岩を利用した造塔が先にあり、後に導入された硬質加工技術によって安山岩の加工が可能になったと考えられる。しかし、安山岩を用いた造塔が行われるようになっても、凝灰岩製五輪塔は造り続けられ、両者は鎌倉において並存していた

河野は、分布、存続年代、供養形態の検討から、やぐらが作られた地域を探った。やぐらは供養に利用されるため、出土する遺物とやぐらの作出年代に差を生じてしまい、出土遺物によるやぐらの製作年代の確定にはあまり有効でない。やぐらの中には後世に改変したものがある。倉庫に利用したために、供養施設としてのやぐらの意味を留めていないものもある。また、存続年代を調べるにあたって、やぐら内部にある板碑や五輪塔の年号を参考にするが、やぐら付近にあったものを内部に入れた可能性もあるので年代が上下することがある。鎌倉以外の地にもやぐらに似たものはあるが、やぐらは鎌倉を中心に多く分布しているので、やぐらを用いる文化が鎌倉で始まったことは間違いない。しかし、鎌倉幕府滅亡後に、東京湾を挟んだ地域でやぐらを誰がどのように利用したのか、他方、やぐらの性格を把握するには、北関東にやぐらに比するような墓葬があるのかを確認する必要もあると述べた

 

基調講演と報告後に本学准教授の宗秀明が司会を務めた討論は、時間的制約もあり、各発表者による補足説明を中心に行われた。