平成22年度秋季シンポジウム
近代日本におけるプルシアンブルーの受容


平成22年度秋季シンポジウムは、116日土曜日に「近世日本におけるプルシアンブルーの受容」と題して次のような内容で開催されました。

神戸市立博物館学芸員勝盛典子先生「プルシアンブルーの江戸時代における受容の実態について」

・東京藝術大学大学院保存修復日本画研究室准教授荒井経先生「画家の視点・プルシアンブルーによる連作を通して」

秋田市立千秋美術館学芸員松尾ゆか先生「秋田蘭画の絵画表現」

・本学文学部教授石田千尋先生「江戸時代の紺青輸入―オランダ船の舶載品を中心として―」

 

化学合成された青色顔料プルシアンブルーは蘭名をベルレイスブラウといい、近世日本では紺青と訳されました。近年、文献資料、絵画、保存科学など多方面から調査・研究がされています。今回は江戸時代におけるプルシアンブルーの受容に焦点を絞り、多角的視点から研究報告が行われました。

勝盛先生は、基調報告として科学的分析を伴う調査結果を分析し、近世日本におけるプルシアンブルーの受容について報告されました。そして、平賀源内から秋田蘭画に繋がったプルシアンブルーは多彩な表現をするも、技術を知らない画家には膠水に溶けない絵具とされ、使用には口授が必要であったと述べられました。油彩画用の絵具の認識は、長崎の画家若杉五十八や江戸の洋風画家司馬江漢などの洋風画家による現存の油彩画作品からも検証できるとされました。また今後は浮世絵版画のプルシアンブルーの汎用と輸入量増大の関係、中国での製造、未把握の国内流通の課題を解決し、作品研究と科学分析の検証が必要だとされました。

荒井先生は、2005年から自らプルシアンブルーを主体とした作品を制作されている経験をもとに、プルシアンブルーは少量でも水色を描けるが、着色力が強く、厚塗りはひび割れし、改良には日本画に適した粒子へ調整が必要だと述べられました。また、胡粉と合わせた“具”という顔料が誕生し、合成顔料の輸入や開発によって利用が拡大したと述べられました。今後は、文献調査、科学分析、光学調査と合わせ商品目録、材料感覚の探求が必要で、製造現場からたどると理解しやすいとされました。

松尾先生は、勝盛典子氏と東京文化財研究所の朽津信明氏と共同で行なった、顔料の科学分析、粒子の観察調査等に基づき、プルシアンブルーによる彩色表現を中心に、秋田蘭画の絵画表現について報告されました。プルシアンブルーから作られる色は青、緑、紫と幅広く、佐竹曙山や小野田直武らには手放せない色でした。絵具は膠でとき、裏彩色等を駆使し工夫すると、多彩な色彩や表情を生み出します。微量の彩色材料で薄塗りの背景の青等、元素やスペクトルが確認しにくい部分の分析、染料系絵具の分析について今後検討する必要があるとされました。

最後に石田先生は、プルシアンブルーについてオランダ側・日本側の貿易史料を用いて調査・分析し、1819世紀の輸入実態について述べられました。そして、プルシアンブルーは、宝暦2年(1752)より「日本人への手当」もしくは「日常生活用」のために輸入され、たとえ出島内であったとしても、翌3年(1753)以降より使用され日本人の目にふれていたことは間違いないだろうとされました。

討論は本学教授の加藤寛先生を司会として行われました。時間的制約もあったため、各発表者による補足説明を中心として行われました。