平成20年度春季講演会
やきものに見る桃山人の精神性 志野・織部を中心に


平成20年度文化財学会春季講演会は、6月7日土曜日に『やきものに見る桃山人の精神性 志野・織部を中心に』と題し、学習院大学教授である荒川正明先生をお招きし、ご講演していただきました。以下にお話の内容を要約してみました。



 はじめに、日本のやきものは桃山時代を境に、壺・甕・すり鉢などを主にした質素な「実用のうつわ」から調度品としても通じる「鑑賞のうつわ」へと一変したことが指摘されました。中世までは、中国のやきものが調度品として扱われており、中国の青磁・白磁の大皿や南蛮由来の品が好んで使われ、宴などの遊楽の場を飾り立てられていました。 しかし、桃山時代以降では志野・織部が中心となって、やきものに古代からあった「風流」をモチーフにして取り入れ、独特の装飾を生み出しました。その装飾性は、日本古代の風流を元に単純な文様や歪みなど、具象化されないもので、それまでのやきものと違って、大胆で破天荒な造形でありました。当時の人々は、そこに美を見出しました。 このような日本のやきものの革新のきっかけとなったのは、16世紀後半の経済繁栄でした。物質的に豊かになり、人々の新しい好みに対応した日本のやきものは、桃山の町衆たちによって産業化されました。

 形状や文様のモチーフには、次のものがあります。やきものを三角形に歪ませることで、神が降り立つ場所とされる白砂青松を元につくられた州浜台などを表した[造り物]や、柳など樹木の枝や藤の花・葡萄の実など房状のものが垂れ下がったり、葦や萩の葉などが風でたなびき揺れる様子が描かれ、植物が枝垂れ揺らぐなかに、神が来臨することを予祝することを表現している[枝垂れ・揺らぎ]に、水辺に群れる小鳥たちを示し、見込み部分に配されることが多く、水辺風景や神の影向を表した[千鳥]、同じく神が降り立つ処とされる[傘]など、これらの形状・文様には、聖性の意味があります。

 また、現世から浄土など異世界の境とされ、所有者が居らず支配されない場所を表し、主に宇治橋や難波の住吉大社などを描いたとされる[橋]や、同じく内と外の境や内側を開拓者の土地を表す[垣根]に、円形であることが仏教の教えである法輪を意味し、牛車の車輪や水車から由来する[車輪]、篭の目が六芒星に見え、ドーマン・セーマンなどの陰陽道的な形も鬼が恐れるとされる[籠・篭目]であり、植物や果実・鳴子や瓢箪を吊るし、元は勧請吊と呼ばれる、悪霊や災厄が入らないように、神仏を勧請する場所や村の出入り口に吊るす注連縄である[吊し]など、これらの文様には、結界や邪気を祓うという意味が込められたとされまして、これらの文様は、当時の奇抜な風姿で巷を横行する「かぶき者」の衣装の柄としても、流行しました。

  以上のお話ののち、当時の人々の考え方を理解するためには、同時代の様々な分野の分析をすることが大切であると、最後に指摘されました。