平成20年度秋季シンポジウム
墓葬とは何か

平成 20 年度秋季シンポジウムは「墓葬とは何か」と題され、 11 月 8 日土曜日に開催されました。 
はじめに、問題提起とし、本学教授である河野眞知郎先生から人である以上いつか通る死、それに関わる葬送は人間の精神文化として他の生物にはないのだから、正面から考えていきたいということで、シンポジウムが開始されました。


 まず、本学准教授の下室覚道先生に「仏式葬儀について―道元禅師の思想を含めて―」という論題の発表がありました。日本に火葬という形態を導入したのは仏教で、三昧聖と呼ばれる私度僧が火葬にかかわったことが、僧と葬儀が深くかかわるきっかけになったとされました。人が死んでから転生する間のことを 中有 ( ちゅうう ) といい、その時期に 僧侶の読経と廻向によって、よりよい来世へと導くことが可能である、としているのが可転論です。先生は 曹洞宗開祖の 道元 禅師が可転論を認めていたとし 、 葬儀を行うこ とに対して肯定的であったと 述べられま した。








 次に、本学准教授の宗臺秀明先生より「やぐらと供養の諸形態」という論題で発表していただきました。やぐらとは、鎌倉時代より近世前頃まで造営された、岩肌をくりぬいた、鎌倉を中心に分布する宗教的空間とのことでした。名越の山王堂東谷やぐら群のように敷石の下に火葬骨があるものも発見されており、墓の役割も大きかったと指摘されました。中には西瓜ヶ谷やぐらのような五輪塔が彫りだされたものもあります。先生は生前修行した法華三昧堂が墓に転用され、さらに結縁を求める追葬が行われるという墳墓堂起源論に着目されました。修行と供養が共に行われるアジャンター石窟の例を挙げられ、また修行、祈祷の場と墓との結びつき、そして追葬の機能があるやぐらに 結縁 ( けちえん ) という性格を求められました。





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 続いて、本学博士前期課程 2 年の村松彩美氏から「中世鎌倉 浜の墓葬」と題して発表がありました。13 、 14 世紀代頃の人骨が 3000 体以上検出された由比ヶ浜南遺跡の分析結果を基に、海浜部の葬地としての様相、葬送形態、またその被葬者についての考察をされました。浜でこれだけの人骨が報告されているにもかかわらず、市街地には遺骨の発見例がないことから、都市部から日常的に死者は浜へ送られていたことが伺えるとされました。葬送法別分布図を見ると、埋葬姿勢、頭位、年齢・性別が特にまとまりが見られないこと、副葬品の検出例が少ないことなどから供養の意識が極めて薄いとの指摘がなされました。また、数十から数百の腐乱・白骨化した遺骸が集められた集積埋葬は、受傷痕があるものもありますが、そうでないものも多く、遊離人骨が見られることから、合戦の死者だけでなく、被葬者は武士階級より下層の都市民ではないかと論じられました。






最後に、河野眞知郎先生より「近世墓石塔の編年」という題で報告がありました。 1975 年の船橋市中野木町民俗調査結果を元に、墓石塔の変遷を伺うことができます。中野木村は江戸時代にできた小さな農村で、 30 軒の家々は 200 年間屋号を受け継ぎ分家せずにきた共同体の意識の強い村です。墓塔型式の統計をとることで編年が可能とされました。その変化は漸移的で、段階的に切り替わるのではなく徐々に変化していくのがわかる、とのことでした。石塔に銘のある被葬者数の統計からは個人墓から家族墓、家系墓へという変化も見受けられるそうです。地域による石塔形制の相違点、戒名の用法、墓石の立てられない死者などの問題も残っており、追究の必要があると指摘されました。








討論は本学教授である伊藤正義先生を司会とし、聴講者の質問に答えると共に、補足説明も踏まえたディスカッションが行われ、墓葬に対する認識を新たにすることができました。