平成14年度春季講演会
流鏑馬の歴史


平成14年度、文化財学会春季講演会は、日本古式弓馬術協会理事長の金子家堅先生を招き『流鏑馬の歴史』という題名で開催されました。

 最初に流鏑馬の歴史についてお話になりました。それによると流鏑馬は欽明天皇の時代、神前で天下平定・五穀成就を祈り、馬上から3つの的を射たのが『矢馳馬』の起源といわれています。その歴史は宇多天皇の勅命により源能有公が『弓馬の礼』を制定し、以来代々源家が相伝してきました。その後、武田・小笠原に分かれ、室町時 代には武田氏は3つに分かれ、その1つ芸州の武田氏が『弓馬の礼』を司りました。その後江戸時代に竹原家によって今日まで至りました。

 因みに、鎌倉派は、昭和9年細川候の印許により、竹原惟路の高弟の細川藩士井上平太の系統をその直弟の金子有燐(金子先生の父)が継承し、東京・展鎌倉に伝え、現在はその直弟等を中心に正統が維持されてきています。


<明治13年、木馬での流鏑馬練習風景>


 次に現在の流鏑馬についての現状をお話しになりました。流鏑馬には、伝統的な日本馬に古式馬術を身に付けさせることが必要不可欠でした。古式馬術とは戦のための馬術ですが、戦後西洋馬術により圧倒され減少しただけでなく、日本古来の馬はサラブレッドに取って代わられました。よって近年では、競馬を引退したサラブレッドを使い一から古式馬術を調教しています。サラブレッドは、日本馬に比べて背が高いばかりでなく、スピードもあるため実際には、流鏑馬には適さないのだそうです。

 流鏑馬で重要なことは、馬に信号を送る大切な役割をしている手綱から手を離しても馬を操れる流鏑馬専用の走りを教えることです。この技術を習得するためには、順序を通して徐々に練習しなくてはならず手間と時間がかかるそうです。馬を操り、弓を引くには、最低でも10年もかかります。

 そして最後には、用具の説明・馬の走り方・普段の練習風景など写真を使い説明していただきました。この中で、流鏑馬の練習として木の馬に跨った明治初期の貴重な写真があり、流鏑馬の細かい練習風景、その歴史的変遷を解説していただきました。

 今回は、考古や工芸・保存といったものでなく無形文化財という、まさに多方面に視野を広げる文化財学科らしいものだったと思います。そして流鏑馬の奥深さを知り、あらためて無形文化財の大切さ・凄さを感じました。