平成12年秋季シンポジウム
戦国の仕寄図と肥後田中城


 平成12年11月25日(土)に行われた文化財学会秋季大会は「戦国の仕寄図と肥後田中城」というテーマでシンポジウム形式で行われました。
 まず基調報告として、田中城発掘調査について熊本県三加和町教育委員会の黒田裕司先生からご発表いただきました。主に三加和町と田中城についての概略を述べられた後、スライドを使用して15年間に渡る田中城発掘調査についての説明が行われました。



 その後、昼休みをはさんで午後からは、関連研究報告が行われました。まず、本学教授の大三輪龍彦先生が、「注目すべき2・3の遺構」という論題で発表しました。田中城から発掘された多くの遺構の中から主に鎌倉のやぐらに似た横穴式の遺構と、非常に多くの柱穴を持つ連棟式建物の遺構についての発表でした。

 横穴式遺構の中には石仏が彫刻されており、遺構の口が西を向いていること等から、この遺構が浄土思想や地蔵十主経の影響を受けて造られたものと推測されること、また連棟式建物の遺構については全国でもこのような事例は非常に少ないため、発掘調査がある程度の広さをもって行われないと、この遺構がはたしてどのような遺構なのかを特定するのは難しいということなどを指摘されました。

 次に本学教授の永田勝久先生が「出土鉛弾の科学的分析」という論題で発表しました。発表の内容は、田中城の発掘調査によって発見された鉛弾を科学分析し、鉛弾に使用されている鉛の産地を調べるというものであり、コメンテーターとして参加して下さった東京国立文化財研究所の平尾良光先生を交えての議論はたいへん興味深いものでありました。田中城以外での出土鉛弾の事例と比較してのお話は実に説得性のあるものでした。

 そして最後に本学教授の石井進先生が「田中城仕寄図と肥後国衆一揆」という論題で発表しました。田中城の仕寄図は、豊臣秀吉の九州統一の過程で、肥後の国衆であった和仁氏と秀吉から肥後一国を与えられた佐々成政との抗争の中で、和仁氏の居城である田中城が攻め落とされ、落城する時の城攻め絵図であるということを述べられました。

 また、この田中城の仕寄図と落城の過程は深い関係にあり、田中城の陣取仕寄図は日本最古のものである上に、仕寄図と共に軍中法度などの文章が記されていることから、この仕寄図は非常に貴重なものであるということを指摘されました。